昭和12年(1938)
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パリ万国博覧会にて金牌受賞、平成18年前後にして品物の形が判明
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昭和13年(1937)
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長谷川五郎、東京袋物工業組合理事長選任
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昭和14年(1939)
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『合名会社長谷川五郎商店』に改組
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昭和15年(1940)
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長谷川五郎 東京袋物卸商会組合理事長選任
商工組合連合会理事長
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昭和16年(1941)
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『長谷川合名会社』に改称 奉天に『合名会社長谷川工蔽』設立、
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昭和16年(1941)
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長谷川五郎、日本袋物卸商業組合聯合会会長選任、昭和18年前後、国民学校一年生用ランドセル用の革を配給申請を陸軍省資材担当部署に掛け合いに出かた。
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昭和20年(1945)
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長谷川五郎、東京都袋物施設組合理事長選任。奉天の三和工廠と変更されていた、会社はソ連軍満洲進行により、解体され、現金をかき集め、すべて、従業員(満洲在住朝鮮人、漢人を含む中国人、モンゴル人等国籍を問わず退職金を支払い、会社を解散、このことが地元の皆に感動を呼び、引き上げまでの世話をリレー式で世話をしていただいた。店主長谷川五郎の思想が大きな成果を表した。差別待遇をしてこなかったことがいかに人を動かすかの例として四代目にも伝えられた。
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昭和21年(1946)
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小島町に仮店舗建築、店舗使用面積5坪ほどであった。
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昭和29年(1954)
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積水化学の極めて初期にできたプラスチックを小判型のバッグ"に作り、ジュエルバッグ"と呼称してハセガワが大キャンペーンを繰り広げ販売した。
この年、家族名すなわち苗字”ハセガワ”を登録商標申請、特許庁から却下。
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昭和32年(1957)
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『長谷川合名会社』資本金1000万円に増資
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昭和33年(1958)
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長谷川五郎、紺綬褒章受章
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昭和35年(1960)
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『ハセガワ』という名前で商標登録を取得〜製造者責任の先駆けとなる
昭和29年に、長谷川五郎は『ハセガワ』という名前で商標登録を申請
しかし当時は、『長谷川』の名前を使っている袋物商が6軒あり、商標登録は却下される
『ハセガワ』の商標登録取得の動機はメーカーの製造責任をはっきりさせる体制を作り、商品のクレームは作る者が負う事を主張、
昭和35年1月28日 東京高裁で判決、勝訴した。『ハセガワ』という苗字でトレードマークを取得
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昭和37年(1962)
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株式会社ハセガワ』設立 長谷川栄次郎、社長就任
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同年12月10日
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取締役会長長谷川五郎死去 特旨を以って従六位に叙せられる。翌年1月8日勲六等瑞宝章を追賜される
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昭和41年(1966)
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本社ビル第一期工事竣工
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