| ハンドバッグの名前は変だよ? |
| みちる |
ハンドバッグって英語だと“手袋”でしょ |
| 晴子 |
えぇ――――うそーーー |
| みちる |
だっておかしいジャン、 バッグはふくろとゆう意味だからいいさ---
でもハンドがつくと手袋でしょ。 |
| 晴子 |
あらーーほんと、マジーーにーーー そーよね.ほんと手袋だ!何でなの? |
| みちる |
いまはハンドバッグも男のかばんもごったになっちやって“かばん”ってゆうけど
女物のかばんをゆう言葉は日本では別にして呼んでたのよね、手提げ袋だから、
ハンドル・バッグと呼んで居た時もあったんだって,そして、明治も進んでくると、長谷川の祖先富五郎は自転車がハイカラさんから一般にもだんだん広まってくると自転車のハンドルと女持ちのバッグが一緒ではおかしいよと思ったらしいのよね、たしかに手提げ部分はハンドルだし、でもねぇハンドルではあまりおしゃれでないから,名前をお洒落に
しようとなったようだね。でも、明治の人だし、今より英語を十分しらなかったから、
グローブの意味になるハンドバッグと呼ぶようになったんだって古老に聞いたことが
あるのよ。バックの英語はイギリスもアメリカも1910〜1920年代まで共通でバッグで男物も女物も一緒だったからね。しいて言えばレディス・バッグとは言えるね。日本生まれも理屈にあうね。 |
| 晴子 |
そうね------、でも何時からなの |
| みちる |
今のところ、はっきりした。文献がみつかって無いから、1909年頃のオックスフォー
ド辞典には無いのだよ。1880年代からのイギリスかアメリカの辞書があれば確認がで
きるかも.面白いことに香港や中国の工業地域に行ったり、シンガポールの中華街に
行くと手袋公司と書いてあるのがハンドバッグ屋さんや製造工場なのさ。広告も会社
名は公司と漢字で書いてある。 |
| 晴子 |
じあー手袋はなんてゆうの |
| みちる |
手套て呼ぶんだよ、 |
| 晴子 |
へぇーーなんか面白いはね |
| みちる |
そうなんだ。外套と通ずるものがあるね.たぶん、和製英語を中国の人が直訳したみ
たいだね。
はじめに中国で言ったら,嚢を使ったと思うよ。日本でかばんを鞄と書いているけど
この字は本来革職人とか皮なめし業の人と言う意味が中国にはあったんだ
よ。
|
| 晴子 |
ほんとに手の套(包み、、かさねる,. 被う物、との意味)とはずばりだもの。 |
| みちる |
今ではほとんど英語で書いているけど、ちなみにイタリア語ではラ・ボルサ(la Borsa)、
フランス語はル・サック(le Sac)、ドイツ語ではデイ・タッシェ(die Tasche) と呼んでい
るんだ。 |
| 晴子 |
日本でかばんを鞄と書くようになったのはいろいろト話があるけれど、銀座の谷沢の
先々代の禎三さんが考えられたんだってね。 |
| みちる |
はっきりはしていないのだけれどそういって間違いは無いだろう。それよりか女性に
はハンドバッグって呼んでほしいね。業界人のこだわりかも知れないけど日本では特
に煙草入れや紙入れ職人がいわゆる袋物職人だったから西洋式袋物も自然と作るよう
になったんだし、上方で京都などでは、和装の世界の函迫(はこせこ)のつくりから
貼りこみと呼ばれる技法でつかんでもつ抱え型のバッグが作られたの。カバンの方は
昔から杞柳(きりゅう)細工の行李を造っていた豊岡の八木長衛門とゆう職人が第二
回内国勧業博覧会で外見は欧米のトランク型を杞柳製の箱式行李かばんに工夫考案し
て展示したのが始まりだと伝えられているんだ。それで、この形からいろいろな材料
や形がうまれてきたんだ。今も日本では豊岡がかばんの生産地として長い歴史を持っ
て居るんだ。詳しくは豊岡の鞄組合のホームページを見るといいかも。 |
| 晴子 |
え――――だから、今でも、両方売っていても屋号に鞄店とバッグ店とふたとうりあ
るのね。 |
| みちる |
そうなんだ。昔は小売りの袋物やさんは小間物も売っていたり、化粧品も扱ったりし
ていたんだよ、だんだんにハンドバッグやになったお店が多いのさ。今、横浜から全
国区になったキタムラさんも明治時代初期の創業だけれど,小間物屋さん出身なのさ。
輸入品を扱っていた時もあり、皆も知っているハマトラ御三家となった数年前から、
いまのキタムラのマークでオリジナルの商品に切り替えたのさ、おりしも経済の高度
成長の大きな波がよこはま元町のイメージを高め、ミハマの靴、フクゾウの服にキタ
ムラが急成長してきた婦人ファシヨョン紙誌の絶好の記事ソースとなり、大ブームを
つっくたんだ。それはすさまじーくらいの勢いだ。一大トピックだね。 |
| 晴子 |
よく覚えているよ。あたしも結構買ったものよ。でも最近の広告を見ると明治時代か
キタムラのオリジナル・バッグをつっくて居たようにしているけど。 |
| みちる |
イメージ作戦で行っているんだけどね、伝説が生まれてくるとそんなものかも。でも
正確な歴史が埋もれるのもいけないことだよなー。本当に50年くらいすると伝説が本
当になるからな。
あーそうそう,造る職人の軍団から,東京は明冶時代には東京嚢物煙草具商工協同組合
と呼ぶ業界組合ができて、アトムのボス長谷川の曽祖父{長谷川富五郎}や曾大叔
父{長谷川幸次郎}が組合設立に尽力したと組合史にあるんだ。そして,鞄の方は別に
鞄の組合を造りました東京,名古屋、大阪.豊岡の団体を集めて日本カバン協会となりま
した。バッグの方はいまは日本ハンドバッグ協会と名前をつけているんだよ。
(昔は日本袋物協会といっていた)
アーー時間だ。これから用事があるのでまた今度合いましょう。じゃーバイバイ。 |